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2013(平成25)年10月18日 |
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弁 論 要 旨 |
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(本件解雇は不当労働行為) |
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東京地方裁判所民事第36部合議A係 御中 |
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原告ら訴訟代理人 |
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弁護士 水口洋介 |
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1 組合員に集中した解雇予告 |
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2012年7月1日から本日まで解雇予告を言い渡された組合員は合計25名にのぼります。解雇予告後に労組に加入した原告松木以外、2012年9月30日までに解雇予告された非組合員はわずか4名にすぎません。現時点で判明している解雇予告を受けた30名のうち組合員は25名と8割も占めています。被告の従業員数が約1万4000名にものぼるにもかかわらず、組合員に異常に集中しているのです。誰が聞いても偶然とは思えません。被告は、労組に業務遂行能力がない者が多く加盟しているなどと主張するでしょう。
しかし、恣意的な人事評価において、低位の者は従業員のうち約15%を占めると被告自身が明らかにしてます。これをボトム15と呼びますが、この低評価の者が2000名を超えるはずです。この2000名の中から30名が選択されたのです。この低評価者2000名のうち解雇予告されなかった者が大部分であるにもかかわらず、解雇予告対象者の8割が組合員なのです。異様な数字といわざるを得ません。 |
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2 労使関係の経過と2000年以降のリストラ |
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1959年5月、380名が参加して労働組合が結成された。その後1961年には組合員数1638名、組織率9割の強力な労働組合に成長しました。しかしその後、被告が労組に対して昇進賃金差別、脱退強要の攻撃を加えたため、組合員が激減し、1969年には組合員は130名までに減少してしまいました。その後、労組は昇進差別に対抗して争議を行い、不当労働行為救済を申し立てました。その結果、1982年12月茶宇王労働委員会中労委で、被告との間で勝利的な和解を獲得しました。
この中央労働委員会和解成立後2000年頃まで、比較的平穏な労使関係にて推移したのですが、2000年頃から被告は大規模事業再編、リストラを開始しました。そして2008年~2010年頃までに1300人もの大量の人員削減を実施したのです。 |
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3 2000年以降のリストラに対する労組の抵抗 |
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これに対して、少数の組合員であったが、このリストラ、大量人員削減に抵抗し、争議を敢行し、裁判等を提起して、労働者の権利をまもる活動を粘り強く続けてきました。例えば、人事リストラ・転籍事件、会社分割事件、退職強要損害賠償請求事件等です。このように頑強に抵抗する労組を頼りにして、退職強要された労働者の駆け込み寺となり、労働者の権利擁護の拠点となってきました。しかし2012年7月1日までは、組合員が業績不良を理由として解雇されたことは一切ありませんでした。 |
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4 労組潰しの労務方針の変更(不当労働行為意思) |
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ところが、2012年5月、現社長のマーティン・イェッター氏及び人事担当役員ロビン・スース氏が就任した直後から本件一連の解雇が開始されたのです。この両者が経営者として就任してから明らかに労務方針が変更されたのです。
このことを示す例の一つとして次のようなことがあります。被告の団体交渉担当者であった堤氏は、2012年7月の原告鈴木裕治の解雇予告について「この解雇は極めて例外的なケースで、今後、起こることはない」旨を団交で述べたが、その後突然、堤氏は被告を退職してしまったのです。その直後9月から10名以上の組合員に対して次々に解雇予告が発令されました。被告の団交担当者は自らの発言の矛盾に嫌気がさして、退職したのではないでしょうか。
また、本件解雇に際して、組合員の解雇予告から解雇効力発生日までの間に、本件解雇とは別件議題の団体交渉が予定されていました。労組は当然、予定団交期日に本件解雇についても議題として追加を求めました。にもかかわらず、被告は団交議題の追加に応じなかったのです。当然、東京都労働委員会は、これを不当労働行為にあたると判断しました。被告ほどの大企業、しかも超一流の法律事務所を顧問事務所として抱える被告が、団交拒否に該当しないと考えるわけがありません。確信犯的な団交拒否は、被告が本件解雇について労組が関与することを嫌悪し労働組合活動を弱体化させる意図を有していることを如実に示しているのです。
今後、被告は、さらなる大量3000名を超える人員削減を予定しています。イェッター社長は、この人員削減を実行するために56年ぶりに被告の社長に就任したのでしょう。そして、この人員削減計画完遂の障害になる労組を弱体化させようとしているのです。本件解雇の本質は、大量人員削減の完遂のための労働組合潰しなのです。 |