メーデーの起源と日本での歴史

 毎年5月1日に開催されている、労働者を中心に全世界の勤労市民が、デモンストレーションによって団結の力と国際連帯の意思を示す大統一行動。これがメーデーです。

8時間労働制をもとめて

 メーデーは、8時間労働制をもとめるたたかいのなかから生まれました。カール・マルクスの指導により、1864年9月に労働者の国際組織として創設された国際労働者協会(第1インターナショナル)は、1866年の大会討議を経て8時間労働制獲得の方針を確立します。アメリカでは、1860年代後半から8時間労働をもとめる運動が本格化します。
 1886年5月1日、シカゴを中心にアメリカ全土で34万人の労働者が8時間労働をもとめて決起したのがメーデーの起源とされています。「働くのは8時間、休むのが8時間、あとは自由な8時間」という「8時間ソング」を歌いながらデモをして、約20万人の労働者が8時間労働協約を勝ち取りました。
 獲得できなかった労働者たちは運動を継続。しかし激しい弾圧を受け、8時間労働協約は次つぎと破棄されてしまいます。
 アメリカ労働総同盟(AFL)は態勢を立て直し、1888年、8時間労働制の実現にむけて1890年5月1日にゼネラルストライキ(企業の枠を超えた全国・全産業規模のスト)などの共同行動にとりくむことを呼びかけます。これに応え、翌1889年、フランス革命100周年となる7月14日、パリに集まった世界の社会主義者たちは、フリードリヒ・エンゲルスの指導によりひらかれた国際労働者協会(第2インターナショナル)の結成総会において1890年5月1日を8時間労働制のための国際的な統一行動日ときめました。これによりメーデーは世界中にひろがります。

反戦平和をかかげて

 現在のメーデーでは、反戦平和がかかげられることもあります。たとえば、2018年韓国メーデーでは、民主労総(全国民主労働組合総連盟)のキム・ミョンハン委員長が、「朝鮮半島の軍事的緊張が緩和し、恒久的な平和体制が構築されれば、(南北の)労働者の希望になる」とあいさつ。この直前には、朝鮮戦争終結にむけて努力することを宣言した南北朝鮮首脳会議がひらかれています 。
 平和と労働者の生活を結びつけるのは、第1次世界大戦への反省から創設されたILO(国際労働機関)憲章の前文でも示された、20世紀をつうじて確立している国際社会における重要な見地です。ロシアのウクライナ侵略が1年以上も継続するもと、こうしたこともふまえてメーデーの準備をすることが大切です。

日本でのとりくみと全労連

 1920年5月2日、東京・上野公園に1万人が結集して、日本ではじめてのメーデー屋外集会が開催されました。(それ以前には社会主義者たちによる小集会が2回ほどありました)。1日ではなく2日に開催されているのは、この日が日曜日だったためです(日本では週休2日制が定着するのは1990年代ごろ)。翌年からは5月1日に開催されますが、1936年以降は弾圧により、第2次世界大戦の終結まで開催できませんでした。
 戦後、占領下の1945年12月、日本国憲法の制定に先駆けて労働組合法が公布され、労働組合運動が復活し、翌1946年5月1日メーデーも11年ぶりに再開。未曽有の戦争・原爆体験を背景に、労働組合も積極的の反戦平和の課題にとりくむようになるなか、メーデーもそのことが反映していきます。そして、2020年には100周年を迎えました。
 もう1つ、特筆すべきことがあります。1989年の第60回メーデーにおいて、労働運動の右翼的再編がすすみ、メーデーに変質・分断攻撃がもち込まれます。この行動に反対する労働組合や民主団体などが「第60回メーデー実行委員会」を結成。「たたかうメーデー」を継承し、右翼的潮流に与しない独自のナショナルセンター結成への確固たる決意が示すメーデーを開催しました。「たたかうナショナルセンター」である全国労働組合総連合(全労連)は、こうした歴史的背景もふまえて結成されたのです。
 大軍拡よりも暮らし優先。コロナ対策を前提に「たたかうメーデー」を継続させ、「市民と野党の共闘」の立て直しにもつなげていきたいものです。

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